2011年10月31日月曜日

about "Counterpoint" series

カウンターポイントと名の付く4作品(編曲版を除く)


・Vermont Counterpoint (1982) [Flute]
・New York Counterpoint (1985) [Clarinet]
・Electric Counterpoint (1987) [Electric Guitar]
・Cello Counterpoint (2003) [Cello]


いずれも「楽器のソロ」と「事前に録音された音源」による
同属楽器のアンサンブルを想定して作曲されているが、
録音なしの生楽器によるアンサンブルで演奏することも可能となっている。


ライヒという作曲家はロマン派、特にロマン派的な大オーケストラを好まない。
彼が好むのは、クリアな対位法(counterpoint)をもつバロック音楽や、
リズムの際立つジャズのビバップや、ストラヴィンスキーの春の祭典である。

作曲家としてのライヒの出発点は、1965年のテープ作品「It's Gonna Rain」であった。
基本的なコンセプトはシンプル。
ふたつの同じ音源が少しずつずれていくプロセスを楽しむのである。
「同じものを、ずらす」というコンセプトは、2011年現在においてもライヒの根幹となる要素だ。
その証拠にライヒの全ての作品には、必ず何か同じ楽器が複数含まれているか、
事前に収録した同じ楽器と共演する。ライヒはそういった意味で、
バッハから大きな影響を受けた対位法(カウンターポイント)的作曲家なのだ。

そしてずれが明確にできない大規模な編成よりも、
ソロ楽器をマイクとスピーカーによって音量をあげることを好む。
ライヒという作曲家の作品を語る上で、このポイントだけは決して逃してはいけない。


1作目、ヴァーモント・カウンターポイントは
フルート族(ピッコロ、フルート、アルトフルート)のための作品。



















アメリカのフルート奏者兼指揮者でもあるランサム・ウィルソンの委嘱によって書かれ、現代音楽の熱心なパトロンであるベティー・フリーマン(博愛主義者の写真家)に献呈されている。
委嘱の詳細な経緯は不明だが、前述の理由からライヒが純粋な「独奏」を書くことなどあり得なかった。そこで、初期作品以降は封印していた「テープ」という手段を持ち出してきたのであろう。

テープを用いるのをやめた理由として、人が関われないと先がない。限界が見えていた、とライヒは述べている。しかし「カウンターポイント」シリーズで確立したテープのあらたな使用方法は、 その後の傑作「ディファレント・トレインズ」や、オペラ「ケイヴ」へと繋がっていく重要な布石となった。


2作目ニューヨーク・カウンターポイントと3作目エレクトリック・カウンターポイントは、 作曲年が近いこともあり非常に似た要素をもつ作品。1作目にはなかったパルスも非常に特徴的だ。

このパルスはライヒ自身も認めているように「18人の音楽家のための音楽」のオープニングに由来している。 そして初演者(リチャード・ストルツマンとパット・メセニー)が共に世界的なスターであることも重要だ。特にメセニーが演奏することにより、クラシック以外の音楽ファンにライヒが受容されることが益々増えていった。


対して、4作目のチェロ・カウンターポイントは、作曲年代が大きく離れていることからも想像できるように、 明らかに雰囲気の異なる作品である。
1998年に書かれたトリプル・カルテットに非常に近いように感じられるが、 実際にハーモニーだけでなく、曲の構造も酷似している。トリプル・カルテットに対し、ライヒ自身は「不協和で、表現主義的」だと述べ、 バルトークやシュニトケからの影響やインスパイアされたことを公言している。

2011年10月29日土曜日

about "Clapping Music" (1972)

Clapping Music (1972)


Pendulum Musicを作ったのち、
アフリカ音楽を学ぶためにライヒはガーナを訪れる。
そしてこの経験によって、彼は気づいたのだった。
アフリカで分かったのは、“原始的な”打楽器を使って音楽をやってもいいいうことです。シュトックハウゼンのようにオシレーターやモジュレーターを使わなくてもいい。打楽器でいいのです。
このようにして大作Drummingは、フェイズの手法の集大成、
そして発展形として1970~71年にかけて作曲された。

Drummingにつづいて、今度は楽器を使わずに
人体だけで演奏できる作品を書くことを思いつく。
そうして書かれたのが《Clapping Music》だ。
フェイズのような微細なズレは起こさず、
繰り返されるパターンを周期毎にずらしていくだけで音楽が成り立っている。

2011年10月28日金曜日

about "Piano Phase" (1967)

Piano Phase (1967)


1965~66年に《It's Gonna Rain》などのテープ作品をつくり、
スティーヴ・ライヒは作曲家として第一歩を歩み始める。
その後テープでの経験を、ライヒは人間が演奏できる作品に応用しはじめる。
まず彼が書いたのは複数のソプラノサクソフォンのための《Reed Phase》で
――しかし現在、ライヒはこの曲を作品表から抹消している――
その次に書かれたのが《Piano Phase》だ。

フェイズ作品は、ひとつの音型が次第にズレていくという
シンプルなコンセプトをもとにしているが、
前作Reed Phaseのようにただずらすだけでは聴き応えが得られなかったのか、
Piano Phaseでは4つの音型がフェイズに用いられている。

about "Pendulum Music" (1968)


Pendulum Music (1968)
for 3 or 4 microphones, amplifiers and loudspeakers

                  

ライヒはPiano Phaseにおいて、
テンポを次第に速くすることによってズレを起こした。
…となれば当然、遅くしてみたらどうか?という発想があらわれるのは自然だった。

Piano Phaseと同じ年に考えられた《Slow Motion Sound》は、
コンセプトだけの作品だったようだ。しかし結果に満足しなかったのか、
ライヒはまたしても作品表から破棄している
(余談だが、ブライアン・イーノの「Three Variations on the Canon in D Major by Johann Pachelbel」(『Discreet Music』(1975)に収録)は同じような発想に基づいている)。

そうした中で、次第にテンポが遅くなっていく自然現象として
「振り子 Pendulum」に注目したのは自然な流れだったのだろう。
テープ作品と違い、人間が参加できることもライヒにとって好ましかったに違いない。

2011年10月3日月曜日

REICH vol.1 MOVIE


Steve Reich: Different Trains  vn. 須原杏 齊藤彩/va.吉田篤貴/vc. 高城晶一/PA. 久田菜美 並川弥央


ディファレント・トレインズ(1988年)
 [Different Trains for string quartet and pre-recorded performance tape] 

1990年、クロノス・カルテットの録音によって
グラミー賞(最優秀現代音楽作品賞)を受賞したライヒの代表作であるだけでなく、
ただの反復で終わらないポスト・ミニマル・ミュージックの傑作。
(…にも関わらず、日本において実演を聴ける機会は稀にしかない。)


ライヒがまだ1歳だった頃、彼の両親は離婚した。
その後、母のいるLAと父のいるNYを列車で行き来する生活がはじまる。
幼いライヒにとって列車の旅はとても興奮するものだったようだ。

しかし列車で行き来していたのは第二次世界大戦中であり、
あとになって振り返ってみると、ユダヤ系であるライヒは
「別の列車 Different Trains」に乗っていたかもしれないと思ったという。

―いうまでもなく「Different Trains」とは、
アウシュヴィッツへと向かう列車のことだ―

ライヒはこうした思いを反映するため、
事前に録音された「弦楽器セクション」や「人びとの声と列車の音」をサンプリングし、「生で演奏される弦楽四重奏」が絡み合う作品として仕上げた。

(「人びとの声」として、当時ライヒに付き添っていた女性家庭教師や
黒人の列車の運転手、そしてホロコーストの生存者の声をもちい、「列車の音」も、
当時(30~40年代)のヨーロッパとアメリカの列車の録音を使用している。)

弦楽器は声をメロディーとしてなぞり、声を楽器へと変貌させる。

作品全体は、切れ目なく続く3つのセクションによってなっている。

1.アメリカ―戦前
2.ヨーロッパ―戦中
3.戦後